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芙美子と門司

■生誕地

林芙美子の生誕地が従来の下関ではなく、門司であることを唱えたのは、資料保存会初代会長・  井上貞邦(筆名・隆晴)です。                                                                                    井上は門司の開業医で、小説『浮雲』に登場する医師のモデルになりました。

門司生誕説は、芙美子の実父宮田麻太郎と同郷で「軍人屋」の従業員でもあった横内種助(井上の養母佳子の父)の証言を根拠としています。

証言は、麻太郎と芙美子の母キクが小森江のブリキ屋二階に間借りしており、新緑の頃、キクが階段から転げ落ちて産気づき芙美子が生まれたというもの。この話を聞いた井上は、当時のブリキ屋があった場所を調査、「林芙美子と北九州」(「北九州市医報」1972年8月~1973年12月)に発表 しました。

 

■井上佳子との交友

井上の養母佳子と芙美子は幼なじみで、芙美子の作家デビューから晩年まで交友が続きました。

1907(明治40)年、麻太郎が「軍人屋」本店を若松に移すと、種助は郷里から妻と娘(佳子)を呼び寄せます。

歳の近い佳子と芙美子は、お互いを「ヨッちゃん」「フーちゃん」と呼び合い親しくしました。

1910(明治43)年、麻太郎が芸者を家に入れたため、キクは芙美子を連れ店員の沢井喜三郎と  若松の家を出ました。長崎、佐世保を経て、1911(明治44)年、沢井は下関に移り住み古着商を  営みます。

その頃麻太郎も若松から門司に移り店を構えていたため、芙美子も門司に遊びに行っていました。しかし、沢井の店が倒産すると一家は下関を離れ、芙美子と佳子の交友はおよそ15年間途絶える ことになります。

1929(昭和4)年、大阪朝日新聞社門司支局で開催された「関門早大交友会」で、二人は再会を

果たしました。以来交友が再開し、芙美子は渡欧時や、戦時中の従軍、南方派遣時、晩年の       屋久島旅行などの途次に門司に立ち寄りました。

林芙美子資料保存会井上貞邦氏と林芙美子

井上貞邦氏と林芙美子

林芙美子資料保存会林芙美子生誕地記念文学碑

林芙美子生誕地記念文学碑​(門司区小森江)

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